━━━━━それは、人の目にされることのない世界でのことだった。 『ひとめ』 ━━━━━彼女は、産まれてくる生き物の中で極希にしかみない単眼の持ち主だった。 単眼…、それは産まれてくる際の顔の中で、奇形と言われるもの。 単眼の子が産まれてくる原因は、両親の精神的ストレスや病気…。 …自分の親の状態なんて、どんなものだったのかなど覚えていない。 いや…、どこかでそれを思い出すことを拒んでいる自分がいるのか? それとも違う…。なぜなら、彼女は真っ暗な世界で産まれたからだ。 光の差すことのない、暗く暗く、恐ろしいくらいに寂しい場所で産まれたんだ。 両親の顔もわからないし、両親が自分を産んだ際に、何を話していたのかもわからない。 単眼で産まれてきた子というのは、普通の顔に産まれてきたことは違い、 身体のところどころの造りが異なるため、産まれた当初は身体の部位が揃っていないことがあるんだ。 …単眼、彼女がまさにその1人だ。彼女の名前はシェリー・オクトラーケン。 ………信じられないかもしれないけど、昔の彼女は引っ込み思案だったんだ。 今の彼女があるのは、おれと会って光の届く、青い海で過ごすようになってからの話。 そこへ住む前は…、大人しかった半面、何かに怯えていた様子だった。 これからおれが話すことは、皆にとっては酷なことかもしれない。 嫌だ、気味の悪いなど…嫌気だって差すかもしれない。 それでも、どうかこれも現実なんだと思って、聞いてほしい………━━━━。 ━━━━━海で、真っ暗な場所といえば、大方は想像がつくだろう。 彼女はその深海で産まれ、育った者だ。 深海の者達は自分で自分の餌をもとめ、絶えず進化と適応を繰り返し、 身体の形状や色素を変化させていく者達の集まりだ。 単眼に留まらず、目がないものや手足が異常に発達した者達もいる。 深海生物がそうなら…、深海で産まれた人々も同じだった。 産まれた頃から単独で行動し、自分自身で生きる知恵を身につけなくては生きてはいけない場所だ。 更には、海は深ければ深いほど水圧が強くなり、身体の細胞がそれにより死んでしまう。 深海で生まれた者達は皆…、体内で殻や筋肉を発達させて、 水圧にやられないように適応していったんだ。 単独で行動していく………。だから、深海の者達の多くは独りだった。 食料も少なく、まさに生死をさまよう過酷な世界。 そんな世界でも、建物や街は存在する。ただ…、何も見えない。 光以外でそれらの存在が掴める何かがなければ…、何もわからない。 海の世界に住む人々の中で、最高位に値する種族である鯨人…おれには、 幸い衝撃波と超音波でそれらを察知する特徴を持っている。 暗闇の世界で何も見えないながらも、おれがそれらを見つけられたのは、それがあってこそ。 いや、とはいってもおれは深海で産まれたわけではない。 鯨人は…青い海で産まれながらも、深海だって入ろうと思えば入ることの出来る種族だ。 それは、先程も述べた通りの理由になる。 さて…。そんなおれが深海に入り、最初に見つけたのが彼女の館だった。 彼女の…オクトラーケン一家は、話によると滅亡寸前の貴族だった。 …え?それ以前に、なぜおれが深海に入ったのかって? そうだな…。おれ達の種族は烏賊が大好物であってね…。 中でも飛びっきりおいしい烏賊が深海に生息しているんだ。 あとは、おれ自身が生物や心理に興味があるというところかな。 その辺りの未知が沢山つまっている深海は、おれにとっては是非行ってみたい場所だったんだよ。 で、オクトラーケン一家のことに話を戻すよ。 深海という過酷な世界で血族を産んでいく彼等は、 新しい世代を産む度に心身に病に蝕まれていったようなんだ。 新しい子、また新しい子と世代が継がれていけば、同時にそれも積み重ねられていく。 彼女は、その貴族の中で最後に産まれた者だったようだ。 …かつての館の中には、誰1人いなかった。 これもおそらく…、深海でも暮らしにより、家族が離れてしまったためだろう。 おれがノックをしてみても誰も出なかったし、反応さえなかった。 出なくなって、おれには誰かがいると見つけた時点でわかっていた。 おれには、光なくともモノを見つける手段があるからだ。 何の反応もないからといって、不法侵入はよくないことだ。 それに引っ掛からない程度に、おれは館の周囲を泳ぎ回る。 すると、開かない窓の向こうに、1人の女の子がいるのを見つけた。 ………それが、彼女………お嬢様だった。 お嬢様を見つけ、おれは彼女の方へ近寄った。 開かない窓を軽く叩いて、彼女を呼んでみる。 何らかのアクションを示すまで、根気よく窓を叩いてみたら、 彼女はビクリと身体を震わし、おどおどとした様子でゆっくり振り向く。 振り向いた彼女の顔の形状を見て、おれは目を疑った。 ━━━━━目が、1つしかない。 おれがそれを見てしまったとわかったのか、 直後彼女は自分の顔を伏せて、見られないようにと両手で隠す。 …彼女の奇形の顔を見て、驚かなかったというわけではない。 不気味だとかとも思っていないと言えば、…それは嘘になる。 ただ…、そこまでショックは受けなかった。 抱いたのは希と言われた現実が、おれの目の前にあるという………悲しい気持ち。 今後ニ度と見つけられないものを見つけたと言えば、不謹慎だろう。 彼女の怯えようから、今を逃すとニ度と会えないような気がしたおれは、 もう少し粘って、入れてくれるよう頼んでみた。 その暫く後のこと。しつこいおれに観念したのか、彼女がおれに近づく。 何度その顔を見ようが、何度瞬きをしようが、彼女は単眼だった。 窓越しなので、彼女の声はおれには聞こえない。 すると、彼女はおれの目の前から姿を消した。 …かと思うと、入口から出てきておれの方に歩み寄ってきた。………俯いたまま。 おそらく彼女は、自分の顔に件嫌悪感を持っているんだろう。…様子でわかる。 おれに見られたとわかっていながらも見せたくないと、顔を伏せる。 おれが彼女に歩み寄ると、彼女は俯いたまま、 『………何の用ですの?』 ………小さく、綺麗な声でおれに問う。 それを聞いて、おれは少しの間、固まった。 おれが固まれば、気まずい空気が流れる。とはいっても、行動を仕掛けたのはおれの方だ。 こういう…本人が気にしていることには触れてはいけないことなのかもしれない。 だけど、彼女のことを知るために…おれはあえてそのことに触れてみた。 『いえ…、あなたがどこか…。』 『…どこか?』 『あなたがどこか、寂しそうにしていましたから…。』 …深海の者なら、孤独に慣れているという者も少なくはない。 でも、彼女は違っていた。彼女は好きで孤独なんじゃない。 まぁ…、確かに独りでいたいというのはあるだろうが、 彼女の場合は…、自分の単眼を見られたくないから、というのが第一。 おれがそう言えば、彼女もピクリと肩を震わした。 その丸みを帯びた肩に、触れたくなったが触れてはならない。 おれは、続けて彼女に質問をしていく。 『…なぜ、おれの顔を見て話さないのです?』 『………。』 まさに気にしているであろうことを問うと、彼女は黙り込む。 『…率直に聞きますが、もしやあなたは…単眼であることを気にしているのですか?』 『………っ!!!』 首を傾げながらおれが聞くと、彼女はバッと顔を上げた。 その大きな1つ目には涙を浮かべていて、顔を赤くしていた。 条件反射であげたかはわからない。おれはようやく見せた彼女の顔を見つめた。 その後、彼女は自分から顔を見せてしまったと、また顔を伏せる。 『どうして、顔を隠すのです?』 『あたくしの顔なんて…、他人に見られたくありませんわっ!!』 『…あなたの顔を気味悪がったり、馬鹿にするようなことを言いましたか?』 『たとえ口に出さなくても、お心ではそう思っているのでしょうっ!!?』 『なぜ…、あなたはそう思うのですか?一体何が、あなたをそんなに苦しめているのです?』 『それは………っ!』 ………ここで、彼女は言葉を詰まらせる。 『見られたくないものを強引に見ようとするのは、確かに礼儀としては反します。  けれど…、人の顔を適度に見て話さないのは、あまりよくありませんよ。』 『………。』 おれが声をかけると、彼女は肩を縮めてしまった。 深海で産まれた彼女が、ここまで丁寧な言葉を話せるのは、 貴族という身分があってこそだろう………。 『…自分の顔を見られることに、恐怖を抱いているのでしょうね。  でも、ときにはそれは不必要なバリアとなって、  本来なら受け入れてくれる人さえ、拒絶することになります。』 『………。』 『………それゆえに、あなたはおれを拒絶しておられるようですが、  おれはまたあなたに会いにくるおつもりでいます。…お節介かもしれませんが、  ━━━━━本来ならもっと可愛いであろうあなたが、おれは気になりますから。』 ………彼のこの台詞に、あたくしの心の何かがカッと熱くなった。 こう言ったとき、まさか彼が優しく微笑んでくれているのを、 指の隙間から見ていたなど…、恥ずかしくて言えませんわ。 ………。 ━━━━━それから、彼はあたくしの前に、よく現れるようになった。 出会った当初は…、正直なところ戸惑っていましたわ。 単眼なんて、世間では気味が悪いと言われますのに…。 この人は、あたくしを可愛いを言ってくれた。 どうしてそう言えるのかしら? どうしてそう思えるのかしら? ふと疑問に思い、それをポツリと呟いてみたら返ってきた、彼の台詞。 『目があれば、ちゃんと瞬きもしておられる。十分可愛いじゃないですか。』 『それだけで、可愛いと言えますの?』 『はい。おれはそう思います。』 『………。』 『あと…あなたはご自身のことを奇形をお思いかもしれませんが、おれはそうは思いません。』 『どうしてですの?』 『単眼もまた、立派な個性だと思います。  1人1人身体の造りが違えば、単眼がいても不思議ではないでしょう?』   優しくそう言うと、あたくしの頬から髪にかけてを撫でて、整えて下さった。 もっと顔を。もっと眼を見せてほしいというかのように、髪を丁寧にかき分ける。 …彼は、あたくしのこの目を見ても、不気味がることはありませんでした。 それは…、まぁ…、最初こそは…もしかしたらそうお思いになられたかもしれませんが…。 今は違いました。彼はありのままのあたくしを受け入れてくれました。 髪を整えながら、彼はあたくしの眼を見て、こう言って下さいました。 『あなたは、お綺麗な目をしておられますね。  こんな綺麗な目を隠して見せないなど、おれは勿体ないと思いますよ?』 『えっ…、でも…。』 『他の皆さんがあなたを避けるとすれば、それはあなたが“単眼”だからでしょう。  それを聞いただけであなたから離れるため、本当のあなたの姿をよく見てはおられません。  彼等は…単眼という言葉しか聞いておられないのですから。  単眼…。それを聞いても避けない者からしてみれば、  こうやって…きっとあなたに近づこうとすることでしょう。』 『………。』 ………言われてみれば、そうかもしれませんわ。 かくいうあたくしも、自分が単眼だからと自分自身を嫌悪していましたもの。 …それも驚きましたけれど、もっと驚いたことは、 彼にはあたくしの姿がそれだけ見えていたということ。 あたくしの種族の天敵…鯨人が賢いというのはよく伺うお話ですけれど…。 …彼が、鯨人。それは彼の背にある1対の大きな背鰭ですぐにわかりましたわ。 でも…、不思議と天敵だという恐怖心は…抱きませんでしたわ。 あたくしを大切にしてくれる彼に、少しずつ惹かれていきました。 それを自覚したのは、何度か会いに来てくれたその後に来る、寂しい気持ち。 いえ、寂しいといっても、彼に会う前までに抱いていたものとは、少し違うような気がします。 彼が『また会いに来ますよ。』と笑って言って、いなくなったその後に来る気持ちは、 『━━━━━彼と、ずっと一緒にいたい。』 『目はお綺麗で、まつ毛も瞼もあり、瞬きもしておられる。』 ………たとえ何かが欠けていても、生きていればそれでいいということかしら…。 以降も、あたくしは彼が来るのを待ち続けていましたわ。 あたくしからは、自分の館を出る勇気はありませんでしたし…。 …彼だから。彼だから…あたくしからも会いたいって願うことが出来ましたの。 交友関係が狭いと言われたらそうですけれど…、 当時のあたくしは彼さえいてくれたならそれでよかったと思っていました。 …名前…。 そう言えば、名前をまだ聞いておられませんわね…。 今度会いに来たら、聞いてみようかしら…。 ………。 あたくしが考えていた通り、彼は会いに来て下さいました。 暗い世界にいるあたくしを見つけて、彼は嬉しそうにしてくれましたわ…。 …ところで、この辺りから彼はあたくしの心だけではなく身体にも触れるようになりましたわね。 でも…、いいのです。それに対して不快感は感じませんでしたから。 触れてくる際に伝わる彼の手が温かくて…寧ろあたくしもそれを求めたくらいですの。 …彼と一緒にいると、落ち着きますの…。 ………温かい………。 『………あの。』 一緒に時を過ごしていた際に、ふと彼が聞いてきました。 あたくしがそれに対し、身体を起こしてみると…、 彼が少し恥ずかしそうにしていたのを、覚えていますわ。 『あなたの…、あなたのお名前は?』 『あたくしの、お名前…?』 『はい…。』 …あたくしから聞こうとしていたことを、彼の方からお聞きになるなんて…。 恥ずかしそうにしながらも笑う彼に、あたくしも心躍りましたわ。 彼が、それを望んで下さった。 そんな彼の望みを、このときのあたくしが無視するわけがありませんでした。 『シェリー…。』 『シェリー、ですか?』 『えぇ…。正しくは、シェリー・オクトラーケンですわ。』 『シェリー・オクトラーケン…!?では、あなたはこの館の………!!』 『えぇ…そうです。最後の世代にして末裔ですの。』 あたくしが名前を教えると、彼が驚いた顔をしました。 けれど、もうその驚きに不信感を覚えることはありませんでしたわ。 名前を聞いた直後は驚きになられていましたのが、フッ…と落ち着いた笑みに変わりましたもの。 『あなたがその末裔…、道理で気品漂う装飾だったわけですね…。  なぜ、もっと早く気付かなかったことでしょう…。』 …落ち着いた笑みながらも、どこか寂しそうにしておられました。 あぁ…、これはおそらく…。 『…あたくしが貴族だとお聞きして、自分の身分のことをお考えになりましたの?』 『………はい。』 あたくしが小さく笑って問うと、彼は表情を変えずに小さく頷きました。 …こんな深海に来る程、好奇心のままに動くことが出来る方は、限られておりますもの。 見せておられる様子からお考えしますと、彼は貴族や王族に生まれではないのでしょう。 …それらではない自分が、あたくしとずっといることを許されるのでしょうか、と。 ………もし、ここの館にまだ沢山の人がいたのなら、許されなかったことでしょう。 それなら、こうやって彼を会い続けることも出来なかったことですわ。 寂しそうにしている彼に、あたくしは自分の気持ちを示すことにしました。 『…この館にはあたくし1人。そこへ、あなたは望んでやってこられました。  なら…、その身分なんてものをお気になさる必要はございませんわ。』 ある意味では皮肉なことでしょう…。館の者達が生存本能のまま姿を消した後の、 この寂れた館だからこそ…、あたくしが貴族でありながらも自由になっているのは。 けれど、それのおかげで彼とお会いすることが出来ました。 あたくしが自分の気持ちを現すと、彼の表情も明るくなってゆくのがわかりました。 あぁ…、彼もまた、あたくしと一緒におられることを、望んでおりましたのね…。 『そうですね…。こんなに会いに来ているのに、  身分を理由に決別するなんて、なんて勿体ないこと。  あなたがこれからも望むなら、おれも一緒にいますよ。』 『………。』 自分の望みのまま、彼も決心して下さった。 あたくしも、それが凄く嬉しかったですわ…。 『ねぇ…、あなたのお名前はなんと言いますの?』 『おれですか?』 今度は、あたくしの方からお名前をお聞きしました。 すると、彼も…嬉しそうにして下さいました。 そして、目を細めて…彼はこう名乗りました………。 『プロンジェ………━━━━━。』 ………。 ━━━━━それから、長い長い時間が経過しました。 あたくしとプロンジェは、深海から光の通る青い海へと移り、新しい館に移り住んだのです。 そこは、当初は無人の館だったところだけど、いえ…それだから新たな住みかに出来たのでしょうね。 彼の知り合いやそこに住むことをお望みになられた者達と共に、…5人で過ごし始めました。 プロンジェと共に、単眼であることや貴族であることをお話になると、 知り合った3人の方は、あたくしのことを『お嬢様』と呼ぶようになりました。 あたくしに敬意を示すその姿を見習って、プロンジェもそう呼ぶようになりました。 プロンジェには名前で呼んで下さった方が、あたくしとしては嬉しいのですけどね………。 暫くは、大変ながらも平和な毎日を過ごしておりました。けれど………。 すべてが変わったのは━━━━━。 その日以降、プロンジェはあたくしの前から姿を消してしまいました。 館の他の住民を一緒に、プロンジェを心配する毎日になりました。 ………毎日、毎日待ち続けていても、プロンジェは一向に帰ってくる気配をお見せしません…。 「………一体、どこにおられますの。」 プロンジェがいなくなってから、あたくしの心の募り始めました不安。 一途なプロンジェのことだから、恋愛面でも心配はしておりませんが………。 「寂しいですわ。すごく…寂しい…。」 プロンジェがいない。それだけなのに…毎日がこんなにお辛いなんて………。 心配して心配で仕方がないのですが、残されたあたくし達だけでは、 行動範囲の広いプロンジェを探しにいくということは出来ません。 問題解決のための行動を起こさないというのは、怠惰なことでしょうけれど…。 多くの海の者が陸に上がるとなれば、大きなリスクもお抱えになることなのです。 とはいっても、やっぱり………お辛いですわ………。 ━━━━━早く、帰ってきて………。プロンジェ………。 あたくしは勿論、皆さんもあなたのことを心配しておられますわ………。 彼を心配しながら、あたくしは館の窓を見つめます。 あたくし達に唯一出来ること。それは…彼をただ、お待ちになることだけなのです………。 『D-04 とりひき』に続く。